2011-04-29

華栄の丘 (宮城谷 昌光) を読む

華栄の丘 (文春文庫)
宮城谷 昌光

4167259141
文藝春秋 2003-03
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宋の名宰相・華元を描いた作品です。華元の功積として一番に上がるのは、大国・楚と大国・晋の和平を取り持ったことでしょう。しかし、本書ではそのエピソードは最後の章で軽く触れるに留められています。

「華栄の丘」では、悪王・昭公の死後、文公と共に宋に平和をもたらそうとする華元の姿が描かれます。「文公」という諡号から、華元の仕えた王は非常に徳の高かった人物であったことが分かります。文公あっての華元であり、華元あっての文公だったことが伺えます。

クライマックスは、楚の覇者・荘王が宋を攻めるところでしょう。宋は「礼」を大切にし、盟下に入っている晋につくします。楚が来ても、晋から離れることはありません。これは、大国である楚と晋の力が拮抗していたから出来た外交でした。ところが、晋は邲の戦いで大敗を喫し覇権を楚に譲ってしまいました。助けを求めても、大国・晋といえども兵を送り出す国力がありません。宋、絶体絶命です。

楚の攻勢に対して 100 日持った国はありません。しかし、宋は粘ります。文公と華元のもと、一岩になって戦います。結局、荘王は 200 日以上の帯陣の後、宋攻略を諦めるのでした。

歴史とは面白いもので、楚にも王に直言する人がいました。申犀。彼が荘王の撤退に否を唱えます。そして賢臣がもう一人。申叔時。彼の献策によって、遂に宋は楚の盟下に入ります。

あとがき

春秋五覇の一人に数えられる襄公の妃・王姫。襄公の孫・文公。そして名宰相・華元。この三人を軸に、宋という国が一致団結する様が、本書の面白味です。楚と晋の和平をとりもつ時、文公は既に亡くなっていました。だから、華元の一番の功積は軽く触れられただけなのだと思います。華元が一番輝やいている時を描こうと思ったら、やはり文公と一緒に居た時なのでしょう。

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