2011-08-21

沙中の回廊 (宮城谷 昌光) を読む

沙中の回廊〈上〉 (文春文庫) 沙中の回廊〈下〉 (文春文庫)

「沙中の回廊」は晋の重臣・士会を主人公にした歴史小説です。士会は重耳 (晋の文公) に見出され大夫 (臣下) となりました。重耳は 19 年に及ぶ放浪を経て晋の君主に即位し、春秋時代の五覇の一人に数えられるほどの名君となりました。当然、19 年の放浪をともにした臣下の多くは優秀で忠義も厚かったので、重臣として取り上げられました。士会はめずらしく、重耳が君主になってから取り上げられました。

本書では、士会に大きな影響を与える人間が二人登場します。

一人は郤缺。父親が恵公 (重耳の弟で政敵) についたため、重耳が君主となった後は野に下りた人物です。この人も重耳が君主になったのち、重耳に仕えることになりました。郤缺は何かと士会と馬が合い、また士会の能力の高さを認めている人でもありました。途中、士会は政治的な事情で隣国・秦に亡命します。士会は優能なので秦の康公 (春秋五覇の一人に数えられる穆公の子です) の元でも活躍をするのですが、郤缺はそんな士会を策略を用いて晋に呼び戻します。以来、二人は晋国を支える柱となってゆきます。

もう一人は介子推です。介子推は重耳の放浪につき従った直臣の一人ですが、重耳が君主になった後、その功積を認められることがなかったため、静かに重耳から離れてしまった人物です。その活躍は「重耳」や「介子推」に詳しいのですが、本書では冒頭に於いて士会の前に現れサッと姿を消します。本書では、士会の行動における理想としてこの時に出会った介子推が強く影響を与えたという設定になっています。「重耳」や「介子推」といった本は重耳のために活躍した介子推を描いた作品でしたが、本書は介子推が重耳から去ることによって神格化される「その後」を描いた作品と言えるかもしれません。

士会は最終的に正卿 (宰相) の座にまで登りつめますが、たった二年で引退します。この引き際の見事さも、介子推の影響があったのかもしれません。たった二年の宰相ですが、春秋左氏伝は「晋の歴史上、士会こそが最高の宰相である」と記し、作者の宮城谷さんも軍師としての士会を非常に高く評価しています。

ちなみに、士会の前に現れた名軍師というと太公望くらいしかいません。太公望は士会より 500 年近く前に活躍しています。また、兵法書「孫子」で名高い孫武は紀元前 535 年頃に生まれています。士会の生没年は不明ですが、宰相になったのが紀元前 593 年とありますから、孫武より前に活躍したことは間違いありません。

本書では、そんな名軍師振りを発揮する士会の姿を読むのも楽しみの一つです。

2011-08-15

介子推 (宮城谷 昌光) を読む

介子推 (講談社文庫)

介子推は春秋時代の名君、晋の文公 (名を重耳) に仕えた賤臣です。ここで言う「賤臣」は貴族出の臣下ではなく庶民出の臣下だと思って下さい。

介子推の史実について知ることは少ないですが、確かなことが 3 つあります。1 つ目は、文公は即位する前に 19 年に渡る放浪の旅をするのですが、その旅に少ない臣下と附き従い、重耳 (後の文公) を輔けたこと。2 つ目は、文公から報いられることがなかったため世捨て人となり、後に文公が介子推に報いようと探すも見つけられなかったこと。3 つ目は、現在、介子推は神として祭られているということです。

介子推がいつ頃から重耳に仕えるようになったのかは不明。少くとも放浪の旅の前であることは確かなようです。実際の活躍となると謎に包まれているのが、春秋時代の世の常ですが、宮城谷さんの作成はこの介子推を鮮かに描き出しています。

若い頃、棒の修練に明け暮れた介子推。棒の達人となり、重耳に仕える介子推。暗殺者・閹楚の刃を幾度と退ける介子推。斉への道のりで食料の入手に奔走した介子推。斉に在っては太子昭の暗殺者らを瞬く間に撃退する介子推。特に閹楚との (重耳を含む他の臣下が知らない) 水面下での攻防は手に汗握るものがあります。

その分、自分の功を何も言わない介子推が何とももどかしく、重耳の許を去る姿が何とも悲しいです。読後感を言えば、同じ宮城谷さんの作品「重耳」の方が好きです。

それと、宮城谷作品は何かとつけて男女の情愛を物語にくっつけます。昔のハリウッドで伝記映画を作る時に、必ずヒロインと結び付けていたのと同じ手法ですね。その手法が成功している作品も多いですが、「介子推」に関しては失敗だと思います。清廉な介子推のイメージにも合いませんし、物語として無理が多かろうと思うのです。無理にヒロインなど創出せず、「重耳」と同じように実直な若者として描いてくれたら、もっと面白かったろうにと思います。

2011-08-14

残酷な天使のテーゼ (arlie Ray) を聞く

先日、エヴァ好きな仲間と集まったところ、BGM として流れてきたのがこちら。英語版の「残酷な天使のテーゼ」でした。聞けば、「覚醒、そして降臨」というアルバムに収録されているとのこと。早速、購入して聞いてみました。

歌手は arlie Ray さん? arlie さん? 日本人なのか外国人なのか分かりません。最近のアーティストにはうとくって。

アルバムは 2 枚組。全曲エヴァのカバー曲。一枚目が英語版。二枚目が日本語版です。私が先日聞いたのは、一枚目のアルバムを聞いたわけですね。

曲調はハウス・ミュージックというのでしょうか? 低音がドコスコ鳴っています。アレンジの良し悪しは分からないですが、クレモンティーヌのボサノヴァ・カバーよりは原曲のイメージに近いです。エヴァ好きとしては、結局、オリジナルに回帰してしまうのですが、別の曲だと思って聞くとなかなかオツなものです。

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2011-08-13

重耳 (宮城谷 昌光) を読む

重耳(上) (講談社文庫) 重耳(中) (講談社文庫) 重耳(下) (講談社文庫)

「重耳」は中国古代の春秋時代に、晋の文公として中国の覇者になった人です。小説「重耳」の魅力は、沢山の有能な部下と 19 年に渡る流浪の旅の末に晋へ戻り君主となるところです。

重耳の国はもともと晋の分家筋でしたが、重耳の祖父・武公が本家を滅ぼし晋の本家となります。さて、武公が亡くなり献公 (重耳の父) の代になった時、驪姫の乱が起きます。献公の寵姫・驪姫が自分の息子を世継ぎにしようと、重耳を含む公子 (王子) 達を殺そうとしたのです。重耳は数少ない重臣を引き連れ白狄 (中華の北の遊牧民) の地へ亡命します。そこから 19 年という流浪の旅が始まるのです。

臣下

重耳に従った臣下についても述べましょう。有名所は狐偃狐毛趙衰魏犨先軫介子推・胥臣。狐偃と狐毛は兄弟で、狐偃は重耳の右腕的な存在です。狐偃・狐毛一族は後に晋で一大勢力となりますが増長し過ぎ、後に滅ぼされます。趙衰は詩を嗜む才人で、彼の子孫の多くが晋の宰相となる名家となります。戦国七国の一つ「趙」国の祖でもあります。魏犨は武人で重耳の車右となります。車右とは、王が戦車に乗る時に王の右に立つ人のことです。国一番の勇士がなるとされます。魏犨の系譜は後に戦国七国の一つ「魏」国を生みます。先軫も武人の一人で、狐偃亡き後、宰相の座につきます。介子推は棒の達人とされ、重耳を暗殺から何度も救い、流浪の旅にあっては食料を求めて最もよく働きますが、重耳が晋に戻った時に何の俸禄も与えられませんでした。これは介子推が貴族ではなかったため、重耳の目にその活躍が入らなかったためとされています。ともあれ、介子推は姿を消し、後に彼の働きを知った重耳は介子推を求めて大捜索をすることになります。しかし、重耳は介子推を見つけることが出来ませんでした。現在、介子推は神様の一人として祭られています (日本の菅原道真が「学問の神様」として祭られるようなものですね)。数多い重耳の名臣の中にあっても、神として崇められるようになったのは介子推をおいて他にありません。

曹の宰相・僖負覊きふきの妻は人物鑑定の才があり、夫に請われて重耳と臣下を見ます。そして 公子は賢人です。それにもましておどろかされたのは、従者のかたがたです。そろって宰相の器ではありませんか。数人の宰相がたった一人の公子をお輔けしているのですから、晋国が手に入らぬはずはありません (下巻, p.198) と言うほどです。

放浪

最後に、重耳の放浪について書きましょう。白狄に逃れた重耳は一時の安寧を得ますが、その後放浪の旅に出ます。訪れた国を順に書き出すと、衛・斉・曹・宋・鄭・楚・秦です。重耳は衛・曹・鄭では冷遇されますが、斉・宋・楚・秦では好遇されます。この時、好遇した国の君主を挙げてみます。斉の桓公、宋の襄公、楚の成王、秦の穆公です。このうち、斉の桓公と宋の襄公、そして秦の穆公は春秋五覇に数えられる名君。楚の成王も楚の荘王(春秋五覇の一人) に次ぐ名君です。名君は名君を知るということでしょうか。

皮肉なのは秦の穆公です。秦は中華では最西の国で、中華統一を悲願にしていました。ところが、重耳(晋の文公) は穆公が予想した以上の名君だったのですね。晋は秦の東に在りますが、文公によって晋国が強力になってしまったため、秦の中華統一は大きく遅れてしまいました。

2011-08-12

マルドゥック・スクランブル (冲方 丁) を読む

「マルドゥック・スクランブル (全 3 巻)」。SF マインドを満載した日本 SF 作品の傑作です。作者は冲方 丁うぶかた とう

舞台は近未来アメリカ。主人公は少女娼婦バロット。彼女はオクトーバー社のギャンブラーにしてカジノのオーナー、シェルに選ばれ新しい身分証等を発行されて不自由ない生活を送っています。しかし、ある日、そのシェル自身によって殺されかけます。

シェルを張っていた事件屋のドクター・イースターとウフコックによって、バロットは救出。生死の境をさまよいますが、禁じられた技術を適用されて復活します。その「生命の保護などに限って禁じられた科学技術の使用を認める」法津こそが「マルドゥック・スクランブル-09 法」です。

生きのびたバロットが持ったのは 2 つの疑問。「何故、殺されたのか?」「何故、私なのか?」。その裏にオクトーバー社の暗部が潜んでいたことから、バロットは生命を狙われる羽目に。同じく「マルドゥック・スクランブル-09 法」に関連する事件屋ドクター・イースターとウフコックを味方に付け、証人保護プログラムを受けつつ、オクトーバー社の喉元に噛みつこうとするバロット一行。

しかし、オクトーバー社は「マルドゥック・スクランブル-09 法」と対をなす様に生まれた、「禁じられた技術」を所有する唯一の会社なのでした。オクトーバー社の切り札はボイルド。元軍人にして、軍人としての限界を延ばすための技術適用を「マルドゥック・スクランブル-09 法」成立前に受けた被験体です。

バロットとは違う超技術を持った殺し屋が追って来る中、バロットらは事件の鍵がシェルの経営するカジノの中にあることをつきとめ、カジノへと突入します。

前半は SF マインド溢れる技術・技術・技術。そして戦闘。逃走劇。中盤はカジノでの大勝負。そして最後にボイルドとの決戦。ストーリーの流れは澱みなく、台詞は生き生きとして、サスペンスとしての魅力も十分な作品です。

一つ付け加えるならば「カジノ」について。SF 作品でカジノ? と首を傾げてしまいますが、これが面白い!! これは騙されたと思って読んで頂くしかないです。勝負に出てくるのは、コミュニティカード・ポーカー (日本で一般に言うポーカーはクローズド・ポーカー)、ルーレット、そしてブラックジャック。電子ハックで監視カメラの穴を作ったり、イカサマ師を逆手取ったり (ポーカー)、5 組のカード・デッキを使ったブラックジャックでカウンティングをやったり...(普通、覚えられません) SF ならではのイカサマ (?) が炸裂。しかし、カジノ側もさるもの。ブラックジャックで交替して登場したディーラーは、ハウス・マスターであり、カジノ最強のディラー・アシュレイ。圧倒的なカード捌きと心理把握、そして小さなイカサマ。アシュレイによってバロットとドクター・イースターは「連続引き分け」という泥沼に引きずり込まれます。カウンティングという必勝法も意味をなさない最後の強敵。ドクター・イースターは自らバースト(負け)して流れを変えようとしますが、それもディーラーの掌の上。バーストしてもアシュレイとバロットは引き分けます。ゾクッとするのは、バロットがバースト覚悟で 4 枚の A を連続で引いて 21 《ブラックジャック》を成立させるシーン。勝負ありかと思うも、ディーラーの手は 21 《ブラックジャック》。またも引き分け。強すぎです。そんな二人のクライマックスは 3 巻の 200-202 ページ。アシュレイの言葉は

俺は今、勇気を見た。謙虚を見た。俺の目の前で誰かが完全に勝つのを初めて見た。

たまりません。

その他のマルドゥック・スクランブル

私は「マルドゥック・スクランブル」を図書館で借りました。しかし、現在、Amazon で「マルドゥック・スクランブル」は入手不可能。代わりに「完全版」が発売されています。その他にもマンガ化や映画化が進行中。少しご紹介しましょう。

映画版

三部作による映画化が進行中。第一部は 2010 年 11 月公開。既に BD/DVD 版が発売中。第二部は 2011 年秋公開。第三部は 2012 年公開予定。

小説 — 改訂新版

映画化に併せて全面改稿したハードカバー版です。全一巻。

小説 — 完全版

改訂新版とは別に手を入れた文庫版。全 3 巻。

改訂新版と完全版の違いは、こちらのブログが詳しいです。

マンガ版

「別冊少年マガジン」(月刊) にて連載中。作画は大今良時。

2009 年 10 月 (創刊 2 号) からの古株。同誌では「進撃の巨人」がヒット連載中。ぼくは「進撃の巨人」を読もうとしてマンガ版と出会い、その後原作に手を出しました。

2011-08-11

ビジネス・ジャンプとスーパー・ジャンプの統合

話題に乗り遅れたけれども、「ビジネス・ジャンプ」と「スーパー・ジャンプ」の統合が図られているそうです。ね。初出は 2011 年 7 月 5 日のビジネス・ジャンプのホームページ。

ニュース発信以後、具体的なスケジュールや統合雑誌に残るマンガは明らかにされていません (8/11 現在)。

自分用メモに、概要をさらってみます。

  • スーパージャンプ: 第 1, 3 水曜日発売
  • ビジネスジャンプ: 第 2, 4 水曜日発売
  • 新しい月 2 回発刊誌を創刊予定 (時期は秋頃)
  • 新しい月刊誌を創刊予定 (時期は今年中)
  • 増刊刊行として出版している JUMP X ジャンプ改 を来春定期刊行誌として創刊

今、私が読んでいる作品は、スーパージャンプだと「ビン 〜孫子異伝〜」と「バーテンダー」の二作品。時々「王様の仕立て屋 〜サルト・フィニート〜」をつまむ程度。ビジネスジャンプだと「怨み屋本舗 REBOOT」「るべどの奇石」「白衣のカノジョ」そして時々「霊能力者小田霧響子の嘘」を読む感じ。この中では特に「ビン」と「怨み屋本舗」と「白衣のカノジョ」の続きが読みたいですかね。新創刊雑誌に残ることを期待します。

2011-08-09

四方世界の王 6 すべての四半分は女の 15 (定金 伸治) を読む

四方世界の王 第 6 巻がようやく発売になって一安心。

前巻でようやくエレールを撃破したナムルとエリシュティシュタル。今巻でようやくシャズを奪還します。

と... そこからストーリーは大して進展しません。アッシュールの王シャムシ=アダドの若い頃の活躍が描かれたり (これはこれで十分面白かったです)、アッシュールはマリが攻める準備をしたり、南のラルサがイスィン侵攻にとりかかり始めたり。主人公ナムルの出番が少なくなってしまいました。

物語が大きく動き出す嵐の前の静けさの様な 6 巻目でしたね。7 巻目では、アッシュール vs マリ、ラルサ vs イスィンの戦いが描かれるとともに、ナムルとシャズも色々と動いてゆくことでしょう。楽しみです。

ところで、マンガ版の方が原作に追いついちゃいました。どうなるんでしょうね。マンガ版はペース速すぎ。原作ペース遅すぎです。あとがきによると、原作 7 巻の発売は 11 月を予定しているそうです。4 か月... 毎月発売の予定が、隔月発売に変更になって、いつの間にか更に発刊ペースが伸びて。ウーン、最初、飛ばしすぎたのかなぁ。全十巻完結の予定が十二巻に変更されたという情報もありましたが、その点についても「あとがき」ではノータッチでした。四方世界の戦況も混沌としていますが、それ以上に刊行ペースが混沌としている「四方世界シリーズ」です。願わくば、シリーズが完結しますように。

関連エントリー

2011-08-05

隣の家の少女 (ジャック・ケッチャム) を読む

隣の家の少女 (扶桑社ミステリー)
ジャック ケッチャム Jack Ketchum

459402534X
扶桑社 1998-07
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by G-Tools

ジャック・ケッチャムによる恐怖小説です。恐怖小説、言い換えれば、ホラー小説。といっても、スティーブン・キングやディーン・R・クーンツの多くの作品の様にスピリチュアルな存在が主人公たちを襲うわけではありません。恐怖の対象は、私達と同じ「人間」です。

時代は 1958 年。主人公は「隣の家の少女」と親交を深めています。しかし、運命の歯車は狂い始めます。最初はちょっとしたいたずら。少年も加害者に加わります。しかし、いたずらはエスカレート。それは虐待へと変化して行きます。それも大人による虐待です。ここで、子供である主人公は「傍観者」へと成り下がります。そこが恐しい。そこが怖い。

一般のホラー小説は、恐怖体験に対して主人公が向き合い対決する形を取ります。人知を越えた存在に対して、どうやって相手を倒すか? どうやって逃げ出すか? 主人公の前向きな視点と同化することによって、読者は恐怖体験と向き合いつつも、恐怖体験と戦うカルタシスを得ます。

一方、「隣の家の少女」の視点は違います。致命的なことに、主人公は少女を救ける勇気もなければ努力もしない。目を背むけられない。逃げ出すことも出来ない。ただ傍観者であり続けるだけ。目の前の惨劇を... 大人がすることとは思えない行為を... ただ見ているだけ。誰かに知らせようとすれば、自分が殺される。そう、この作品で主人公は恐怖体験と同化してしまうのです。そんな主人公に感情移行しながら読む 400 ページ。

ホラー小説を少々噛じってきましたが驚きました。こういう手法で恐怖を伝える手段があったのかと! そして、400 ページに渡って、逃げ出せない恐怖から目を背けられない描写を書き続けられる作家が居たのかと!

本の帯にはスティーブン・キングの言葉が載っています。

わたしたちのような作家にとって
ケッチャムは一種のヒーローだ

これは半分はお世辞であり、もう半分はキングを含む多くの「ホラー小説作家」が思いつかなかった視点を導入し、成功したケッチャムへの賛辞ではないかと思います。

「恐いのは人間」「いけないのは傍観者たること」当たり前の常套句を、丁寧に長編へと紡ぎ上げると一流の恐怖小説になる。「隣の家の少女」を読んで知りました。

2011-08-04

クラシック音楽 CD のならべ方

クラシック音楽が好きです。CD の数も千枚を越えました。数が増えると、ルールに沿って CD を棚にならべないと収拾がつきません。ぶっちゃけ、目的の CD がどこにあるのか分からなくなります。

そこで、一例ではありますが、私の CD をならべ方をご紹介します。

三大別

持っている CD をまず三つに分類しています。

  1. 大物ボックス物
  2. 作曲家物
  3. アーティスト物

大物ボックスは CD 専用ラックには入り難いのと、他の場所に置いて管理しても実用上問題がないので例外扱いです。大物ボックス物 の定義は大雑把ですが、CD の枚数が 10 枚を越える辺りを境いにしています。つまり、2 枚組・3 枚組が当たり前のバッハの無伴奏チェロ組曲やマタイ受難曲は、「大物」とは考えていません。

大半の CD は作曲家物として管理しています。作曲家の順に並べています。私の場合、作曲家の生年順に並べています。従って、CD ラックの上からルネサンス音楽〜バロック音楽〜古典音楽という風に並んでいます。一枚の CD に複数の作曲家が収録されている場合は、基本的に古い作曲家を優先してならべています。例えば一枚の CD にハイドンの交響曲第 101 番とドヴォルザークの交響曲第 9 番「新世界」が収録されている場合、その CD はハイドンの列に並ばせています。

作曲家に続けて、アーティストを主体にしたアルバムやボックス物を並べています。並びはアーティストの生年順です。これは「ロシア名曲集 マルケヴィッチ」のように複数の作曲家の曲を一枚のアルバムに収めたものや、「Fritz Kreisler Icon ボックス」のように一人のアーティストの集大成的なボックスを指します (大物ボックスは別に管理します)。

作曲家もアーティストもバラバラなコンピレーションものはほとんど持っていないので、その後ろに並べています。

作曲家ならび詳細

同じ作曲家を集めたら、次は下記のルールで細分化します。

  • 楽曲の種類
  • 楽曲の構成の大きい順
  • アーティストの生年順

まず、楽曲の種類で並べます。私は交響曲・協奏曲・管弦楽曲・室内楽曲・器楽曲・合唱曲/歌曲・宗教曲・オペラの順に並べています。

次に楽曲の構成の大きい順です。協奏曲で言えば、「ヴァイオリンとチェロの二重協奏曲」を「ヴァイオリン協奏曲」より前に置きます。室内楽曲では八重奏曲、七重奏曲、ピアノ五重奏曲、弦楽四重奏曲、ヴァイオリン・ソナタというふうにです。構成数が同じ場合 — ピアノ四重奏と弦楽四重奏、ヴァイオリン・ソナタとチェロ・ソナタ — の場合、混成物を前に、弦楽器は主要な物 (ヴァイオリン→チェロ→ヴィオラ...) 順に並べています。

そしてアーティストの生年順です。ベートーヴェンのピアノ・ソナタで言えば、シュナーベル(1882)、バックハウス(1884)、ナット(1890)、ギーゼキング(1895.11.05)、ケンプ(1895.11.25)、ルドルフ・ゼルキン(1903)、グリンベルク(1908)... という感じです。同じ曲を同じ人が演奏している場合、録音年順に並べています。

最後に全集物について。ボックスによっては、「弦楽五重奏と弦楽四重奏の全集」や「ピアノ・ソナタと小品の全集」といったものがあります。この場合、その所属の先頭に置いています。例えば、「弦楽五重奏と弦楽四重奏の全集」は室内楽曲の先頭に、「ピアノ・ソナタと小品の全集」の場合、アーティストが一人であればそのアーティストの先頭に置いています。

悩みどころと例外について

バッハの鍵盤楽曲の場合、平均律クラヴィーアとイギリス組曲とフランス組曲とパルティータをどういう順番で並べるのが適当でしょうか? ショパンのピアノ曲では、エチュードとワルツとノクターンとプレリュードとバラードとマズルカの順序はどうするのが適切でしょうか? この点については私も悩みながら CD をならべています。

例外について書けば、リスト編曲によるベートーヴェンの交響曲は「ピアノ曲」ではなく「交響曲」のコーナーの一番後ろに置いてあります。しかし、リスト編曲による「パガニーニ大練習曲」はパガニーニではなくリストのコーナーに置いてあります。ルールばかり優先していると、直感的に CD を見つけられなくなる場合もあるので注意が必要です。

CD を探す

聞きたい曲があるのに、その曲・演奏を収録した CD が見つけられない。こんな場合が多々あります。私はこの問題を棚並べで解決しようとはせず、独自のデータベースを作って管理しています。データベースの話はまた今度。

蛇足

作曲家やアーティストのならびは、生年順ではなく作曲家・アーティストのアルファベット順を採用しても良いでしょう。生年で並べるメリットは、自然と音楽史に精通することです。デメリットは、生年を憶えていない作曲家を見つけるのが大変なことです。アルファベット順を使うメリットは、ほとんどの作曲家・アーティストの並びが一目瞭然ということ。デメリットはロシア人やフランス人に例外的な名前が存在すること (ハチャトゥリアンは Khachaturian、カール・リヒターとスヴャトラフ・リヒテルの姓は両方とも Richter と綴るなど) です。

2011-08-03

モンのチェロ協奏曲 (デュ・プレ) を聞く

モンのチェロ協奏曲をジャクリーヌ・デュ・プレの演奏で聴きました。

作曲者のモンは、フルネームをマティアス・ゲオルク・モン (Matthias Georg Monn) といって、1717 年生まれ 1750 年死去のオーストリアの作曲家です。33 歳で亡くなりました。モン生誕 2 年後にウォルフガング・アマデウス・モーツァルトの父レオポルド・モーツァルトが、15 年後にハイドンが生まれています。時代としては、バロックが終わって宮廷音楽が華やかになる頃合いに活躍した作曲家ということになりましょうか。

今回、この記事を書くに当たって調べて知ったのですが、モンはチェロ協奏曲を書いていません。モンの書いたチェンバロ協奏曲を 20 世紀の作曲家シェーンベルクがチェロ協奏曲へと編曲したのが本作となります。

演奏は、宮廷風の華やかな管弦楽に、デュ・プレの陰を持ったチェロの響きが入ってきます。チェロにだけ耳をすますと牧歌的に聞こえるのに、オーケストラは宮廷風に鳴っているのはミス・マッチ!? いやぁ、そこを味があると思って聴くのがこの演奏の楽しみじゃないでしょうか。知らない作曲家なので、つい敬遠しがちですが聞いてみると意外と心安らぐ良い曲・良い演奏ですよ。

機会があれば、オリジナルのチェンバロ協奏曲も聴いてみたいものです。