「キリンヤガ」(Kirinyaga: A Fable of Utopia) を読みました。SFはこれを読め! (谷岡 一郎) で気になっていた本の一つです。期待に違わぬ名作でした。
キリンヤガ (ハヤカワ文庫SF)
マイク レズニック Mike Resnick
早川書房 1999-05
Amazonで詳しく見る by G-Tools
「キリンヤガ」は連作短編 SF。絶滅寸前のアフリカ種族「キクユ族」のために政府が小さな惑星を用意します。移住者はその地をキリンヤガと呼び、キクユ族に伝わる昔ながらの生活を営みます。語り部は祈祷師 (ムンドゥムグ) コリバ。彼はケンブリッジ大学とイェール大学で博士号を取得しながら、自らの部族を守るためにキリンヤガのムンドゥムグとなります。
「キリンヤガ」は一種の社会科学 SF です。SF において、社会科学を扱ったものは実は少なくありません。古典で言えばアシモフのロボット物は 2000 年代に「ロボット」があることを社会学的に扱った作品とも言えますし、竹宮恵子のマンガ「地球へ…」はミュータントが生まれた未来の地球の社会科学を扱っていると言えます。多くの SF に、「新技術」がもたらされたら「社会」はどうなるのか? を描く社会科学的な要素があるわけです。
しかし、「キリンヤガ」ほどに社会科学的な一面を前面に出した SF は珍しいでしょう。キクユ族はヨーロッパ人の文明と遭遇したために、自身の「文化」を失ったとされます。そのために、科学技術でテラフォーミングされた惑星へ星間移住するのですから、なんとも皮肉な話です。そして、コリバは (自身は十分に科学技術に精通しているにもかかわらず) 文化を守るために「科学技術」を排そうと努力をするのです。
空にふれた少女
お気に入りの一編を選べと言われたら、二作目の「空にふれた少女」を選びます。キリンヤガで一番聡明な子供はカマリという少女でした。しかし、キクユ族の文化では女性に教師的な役割を与えることはありません。当然、もっとも聡明でなくてはならないムンドゥムグになることもできません。
しかし、カマリは知識を貪欲に欲します。その知識欲にコリバは魅了されますが、ムンドゥムグの立場は彼女に知識を与えることを許しません。遂に二人は決別を迎える、というものです。カマリを失ったことが、コリバにとっていかに到命的であったか。残る連作短編を読むたびに、悲しさに胸が染まります。
作品と受賞歴
「キリンヤガ」はその作品の素晴らしさから、多くの賞を受賞しました。解説に作品と賞のリストが載っていたので、表にしておきます。
作品名 | ヒューゴー | ネビュラ | ローカス | ホーマー | SF クロニクル | 星雲 |
---|---|---|---|---|---|---|
もうしぶんのない朝を、 ジャッカルとともに | 候補 | 予備投票選出 | — | — | 次点 | — |
キリンヤガ | 受賞 | 候補 | 次点 | — | 受賞 | — |
空にふれた少女 | 候補 | 候補 | — | — | 受賞 | 候補 |
ブワナ | — | 予備投票選出 | — | 候補 | — | 候補 |
マナモウキ | 受賞 | 候補 | — | 受賞 | 受賞 | — |
ドライ・リバーの歌 | — | — | — | 受賞 | — | — |
ロートスと槍 | 候補 | 予備投票選出 | — | 候補 | — | — |
ささやかな知識 | 候補 | 予備投票選出 | — | 候補 | — | — |
古き神々の死すとき | 候補 | 候補 | 受賞 | 受賞 | — | — |
ノドの地 | 候補 | 予備投票選出 | — | 候補 | — | — |
上記の表に洩れた受賞歴も書いておきます。
「もうしぶんのない朝を、ジャッカルとともに」はアレクサンダー賞候補、年間 SF 傑作選 9 に収録。「キリンヤガ」はハヤカワ SF マガジン読者賞第 3 位、年間 SF 傑作選 6 に収録。「空にふれた少女」はハヤカワ SF マガジン読者賞受賞、年間 SF 傑作選 7 に収録。「ブワナ」は年間 SF 傑作選 8 に収録。「マナモウキ」はゴールデン・パゴダ賞受賞、年間 SF 傑作選 8 選外佳作。「ドライ・リバーの歌」はハヤカワ SF マガジン読者賞第 2 位、年間 SF 傑作選 10 選外佳作。「ロートスと槍」は年間 SF 傑作選 10 選外佳作。「ささやかな知識」は年間 SF 傑作選 12 選外佳作。「古き神々の死すとき」は SF ウィークリー読者賞受賞、年間 SF 傑作選 13 選外佳作。「ノドの地」は年間 SF 傑作選 14 に収録。
あとがき
受賞数の多さもさることながら、SF 小説としての視点が異質で素晴らしい作品です。普通の SF 作品は、新しい技術を得るのに、「キリンヤガ」は技術を放棄し「古き文化」を大切にしようとします。しかし、新しい世代には「技術」が素晴らしいものに映り、「古き文化」をないがしろにし始めるのです。それは昔にキクユ族が「文化」を失ったのと同じ道程です。ユートピアを作ろうとするコリバの真摯な姿勢が、この「技術」と「文化」の摩擦を見事に唄い上げています。
最後に一つ。心に残った台詞を引用します。
理解というのは両方向の道路です。
0 件のコメント:
コメントを投稿