「王家の風日」は、商王朝側から見た殷周革命を描いています。そんなわけで、太公望とセットにして読むと面白さ倍増です。
宮城谷作品では、商王朝最後の王・受王を単なる愚王としては描いていません。むしろ、若い頃は英邁な王として描いています。その王を支えるのは、名臣・箕子と比干。また三公として西伯昌 (後の周の文王)・九侯・鄂公が商の諸国に睨みを利かせています。
商王朝は、他国を攻めては国民が信仰していた「神」を奪う神権国家でありました。そのせいでしょうか。商王朝の政には、常に「神事」がつきまとっていました。王と言えど、神を粗略に扱うことはできませんでした。戦争の時は、進軍路を予め祓除する必要がありました。王が死ねば一緒に何百人という殉死者を出さねばなりませんでした。
そんな中、改革を進めようとした王が受王とその側近です。行き過ぎた「神」への癒着から、王へ政治力を戻そうとしたのでした。
よく「酒池肉林」を受王の悪業の一つとして数え挙げますが、「王家の風日」は当時の慣習からすれば「祖霊」を祭るまっとうな神事であったとしています。
この様に受王らが改革に熱心だった一方で、三公のうち九侯と鄂公が反旗を翻えそうとしていました。この陰謀は事前に知られ、受王によって二公は註殺されます。受王と比干との仲が冷えてゆきます。歯車がだんだんと狂い始めるのです。箕子はなんとか受王の暴走を止めようとしますが、逆に斥けられます。そして讒言により、受王は西伯昌を逮捕し、西伯昌の太子・伯邑考を肉餅 (ハンバーグ) にしてしまうのです。
最初の志から離れてゆく王。それでも商王朝を支えようとする箕子。そんな箕子の耳に西伯昌釈放の報が入り、前後して太公望の暗躍が目に入り始めます。最大の危機を迎えようとする商王朝。その先には、歴史の示す通り商王朝の終わりしかありません。それでも。いえ、だからこそ「王家の風日」は殷周革命を、見事に商側から描ききっていると言えるのだと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿