2009-11-05

ピアニストガイド (吉澤ヴィルヘルム) が嫌いな理由

ピアニストガイドという本があります。クラシックのピアニストだけを紹介し続けて、350 ページという本です。著者は吉澤ヴィルヘルム、1963 年生まれ。出版社は青弓社で、発行は 2006 年 2 月。

この本には良いところもあるのですが、その話は後日するとして、今日はぼくがこの本を嫌いな理由を書きます。

ピアニストガイド

何故この本が嫌いか?

非常に個人的な理由です。私の大好きなピアニスト「ヴァルター・ギーゼキング (Walter Gieseking)」の頁 (p.204) がひどい解説なのです。ただそれだけです。

引用しながら、一つずつ説明していきましょう。

略歴

まずはピアニストの略歴です。

55 年および 56 年の 2 度にわたる交通事故によって死去。

まず、日本語が分かりません。「2 度にわたる交通事故」で死ぬってどういうことですか? 55 年の大晦日に交通事故に遇って、そのまま日をまたいで元旦に交通事故に遇ったとか、そんなシチュエーションですか? 私の読解力では、この文言は全く理解の外です。56 年の 2 度目の交通事故で死んだ、と言いたかったんでしょうか?

あとギーゼキングの一回目の交通事故は 1951 年です。

まあそれらを修正したとしても、ダメです。全くダメです。

何故なら、ギーゼキングの死因は交通事故ではないからです。彼は、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集の録音中 (第 15 番「田園」を録音中)、スタジオで腹痛を訴えロンドンの病院に搬送されます。急性膵臓炎でした。手術は成功しますが、予後の経過が悪く、1956 年 10 月 26 日に他界します。そのため、ギーゼキングのベートーヴェン・ピアノソナタ全集は未完に終わり、第 16 番に到っては「演奏者の死去のため第 4 楽章はなし」となっています。

こんなことは、Wikipedia を開けば書いてある初歩的なことです。大好きなピアニストの死因を勝手に書き替えられた挙句、分けの分からない交通事故で二度も殺されては心象も悪くなるというものです!

せっかくなので、ギーゼキングの弟子ウェルナー・ハース (Werner Haas; 1931-1976) の解説 (p.215) も見てみましょう。

この天才はわずか 40 代の若さで、師ギーゼキングと同じく交通事故で世を去った。

よっぽど、吉澤氏はギーゼキングを交通事故で殺したいようです。(ハースは交通事故で死去しました)

本文より「記憶術」?

本文にも分からない記述があります。

楽譜を読むだけで、それを図形のイメージで暗記し、暗譜で演奏することができたという。

「図形のイメージで暗記」って? それは最近の記憶術ですか?

ギーゼキングの暗譜力がすさまじかったことは有名ですが、私が知る限り、現代の暗記術とは全く別の方法で暗譜していたと理解しています。「記憶力が凄い」イコール「記憶術」といった変な先入観は止めて欲しいものです。

本文より「ペダルの使用」について

音をイメージしながらペダルを使わずに微妙なニュアンスや音色をすべてタッチで弾き分けたとされる。

ペダルを使わないピアニスト? そんなピアニストいるもんですか!

ギーゼキングの著作「ピアノとともに」を読めば分かりますが、ギーゼキングがペダルを不要と考えていたのはペダルが存在しなかった時代の作品 (主にバッハからモーツァルト) です。

「ピアノとともに」の「コンサート・ピアノによるバッハ解釈」というエッセイから引用します。

バッハのピアノ曲を本来の意味どおりにひこうと思えば、いかなるフォルティッシモも避けなければならないのである。

同様にバッハの場合、ペダル効果というものもぜんぜん存在しない。右ペダルには、演奏中はまったく触れないのが最もよい! どんなに慎重にペダルを使っても、不明瞭さが生まれ、響きの形を変えたり、歪めたりしてしまう。和音は足でではなく、指で持続させるべきである。

そんなバッハにおいても

ひとつひとつの音を美しくするため、もしくはアルペッジョのパッセージの場合に、耳に聞こえないようにペダルを用いることは --- 例外として --- 許されよう。

とペダルの利用を示唆しています。

更に同書の「モーツァルトのピアノ音楽」も引用します。

技術面についてもうひとつ言えば、わたしは右ペダルをほとんど一度も踏まなかった。それはひとえに、モーツァルトがその音楽を作曲していたころには、この装置はまだ考案されていなかった、ないしはようやく幾台かのピアノに取りつけられたばかりだった、という理由からである。つまりわたしは、モーツァルトはその音楽を、この《新式の》ペダルの効果を考慮することなく創作した、と確信しているからである。

そしてギーゼキングはペダルの利用を拒んでいたわけではありません。むしろ大切に思っています。同書にも「ペダルについて」という 12 ページのエッセイが載っているほどです。そのエッセイの冒頭はこう始まっています。

正しいペダル使いは、じつに重要である。

そしてこうあります:

わたしはペダルの使用はようやくベートーヴェンの時代からだとさえ、あえて言いたい。それ以前に書かれた音楽はすべて、ペダルなしで演奏しうるものである。(中略) 初期古典派の音楽は、それを原形にのっとって演奏する場合、この《ペダルのない》性格を守らねばならないと考えるものである。

ベートーヴェン、シューベルト、ロマン派の作曲家たち、といったおよそベートーヴェン以後に書かれた音楽は、すべてペダルの利用に耐え、またそれを要求する。

ギーゼキングはペダルを使わないピアニストではありませんでした。むしろ、半ペダルの名手だったと言われているほどです。

ピアノとともに

本文より「ピアノ」

ギーゼキングが録音に使ったピアノは何でしょう? ピアニストガイドによると、グロトリアン・ピアノだと言います。

ギーゼキングは 50 年代に EMI でフランス音楽やモーツァルト、ベートーヴェンなどのレパートリーを録音していて、グロトリアンの音色が味わえる

ここに、対極の記述があります。「ギーゼキングの芸術」に書かれた三浦淳史氏のライナー・ノートです。

ギーゼキングは必要以上に楽器にうるさい大家ではなかった。彼は日比谷公会堂備え付けの、たしかニューヨーク・スタンウェイを弾き、それまでいかなるピアニストも出したことのないような美しい透明な音を引き出した。アメリカでは、彼はボールドウィン・ピアノの専属アーティストだったので、他の銘柄は一切使わなかった。ボールドウィン社は 1962 年のシンシナティに創業したアメリカのピアノ・メーカーで、ギーゼキングのお陰でボールドウィンの株が上がったといわれる。ただし、彼が EMI の録音で使ったのは、すべてハンブルク・スタインウェイである。

さあ、ここで EMI 録音に使われたピアノが 2 つ出てきました。吉澤氏の言うグロトリアン(・スタインヴェーグ) と三浦氏のハンブルク・スタインウェイです。

ピアノ系のウェブページを見ると、ギーゼキングがグロトリアンが愛用していたのは間違いなさそうです。

グロトリアンはシューマンの妻であったクララ・シューマンや、ワルター・ギーゼキング等、 幾多の名ピアニストが生涯コンサートで使用し、また愛用していました。

Grotrian - Steinweg (グロトリアン・シュタインヴェーグ) より引用

しかし、EMI 正規録音に使っていたのかどうかというと、どうなんでしょう。私には答えが出せません。

ギーゼキングの芸術
ギーゼキング(ワルター)
B000064TAD

推薦盤について

これは趣味の範疇なので、どうこういうのは間違っているのかもしれません。

しかしマニアック過ぎるのです。

そもそも、

実は、このピアニストの本領は 30 年代に録音された猛烈に速いテンポによる情熱的なベートーヴェンや、研ぎ澄まされたドビュッシー、切れ味の鋭いシューマン、戦後のバッハの超特急の「平均律クラヴィーア曲集」全曲のライヴなどにある。

と言っている時点で、私とは趣味が合わないのかもしれません。私は、ギーゼキングを聞くなら 50 年代の LP レコーディング。モーツァルト、ベートーヴェン、ドビュッシー、ラヴェル。そして美しいメンデルスゾーンの無言歌集やシューベルトの即興曲と思っているからです。そして、30 年代の録音は、それらの演奏を聞いた上で更にギーゼキングが知りたくなった人にお勧めしたい。

というわけで、つっこみです。

バッハ:平均律クラヴィーア曲集
バッハ:平均律クラヴィーア曲集

超特急なんです。普通の平均律クラヴィーア曲集を聞いたことのある人なら、拒否反応を示したくなるような速さです。ある意味、グールドに近い程に異端、そしてリヒテルほどにロマンティック。ペダルを使わずフォルテッシモのない演奏をすれば、チェンバロ演奏のようにテンポが速くなるわけで、その中にギーゼキングの造形美が隠されている名演です。この録音はほとんどライヴに近い一発録りらしいのでミス・タッチもありますが、一度ハマると抜けられません。しかし、これをファースト・チョイスに持って来るのは間違っていると思います。

20世紀の偉大なるピアニストたち~ワルター・ギーゼキング(2)
ギーゼキング(ワルター)
20世紀の偉大なるピアニストたち~ワルター・ギーゼキング(2)
曲名リスト
1. 前奏曲集第1巻(全曲)(ドビュッシー)
2. 同第2巻(同)
3. 版画(同)

1. ピアノ・ソナタ第14番ハ短調K.457(モーツァルト)
2. ピアノ・ソナタ第21番ハ長調op.53「ワルトシュタイン」(ベートーヴェン)
3. 同第23番ヘ短調op.57「熱情」(同)
4. 夜のガスパール(ラヴェル)

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はい。「熱情」がすさまじいです。第一楽章から、第二楽章はそれなりです。

第三楽章。速いんですね。しょっぱなから。そして、どんどんテンションが上がっていくんです。これぞ「熱情」そのパッションのとらえ方がすさまじい。シフラにベートーヴェンが乗りうつったかのような演奏です。コーダは、無理でしょうってテンポをテクニックでねじふせる快演。流石、ホロヴィッツと対等と言われたテクニシャン。

でも、私は 50 年代のより造形の美しい演奏を好みます。全体のまとまりもあって、初めてギーゼキングを聞く人には、新しい録音を聞いて欲しい。30 年代の爆演はその次でいいかな? と思います。

シューマン:ピアノ協奏曲/チェロ協奏曲(2種類)
フルトヴェングラー(ウィルヘルム)|
シューマン:ピアノ協奏曲/チェロ協奏曲(2種類)
曲名リスト
1. シューマン:ピアノ協奏曲 第1楽章
2. シューマン:ピアノ協奏曲 第2楽章
3. シューマン:ピアノ協奏曲 第3楽章
4. シューマン:チェロ協奏曲 第1楽章
5. シューマン:チェロ協奏曲 第2楽章
6. シューマン:チェロ協奏曲 第3楽章
7. シューマン:チェロ協奏曲 第2楽章(コーダ~)-第3楽章

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シューマンのピアノ協奏曲には、カラヤンとの名演があるのです。それをさし置いて、何でフルトヴェングラーなんですか? マニアック過ぎでしょう?

しかも、ギーゼキングとフルトヴェングラーのシューマングリーグのピアノ協奏曲には、1944 年録音というものがあるのですね。これは、Melodiya レーベルで出ていたもので、初出時には話題になったと聞いています。ところが、調べてみると、どうやら指揮者が違うらしい。1998 年、これがフルトヴェングラーの指揮ではなく Robert Heger (1886-1978) の演奏であることが分かりました。

訂正: 本エントリーにおいて、「1944 年にフルトヴェングラーとギーゼキングがシューマンのピアノ協奏曲において協演したと言われていた」ことを批判していますが、これは私の誤りで、フルトヴェングラーが指揮したと間違われたのは 1944 年の「グリーグのピアノ協奏曲」でした。匿名さん、コメントありがとうございます。

今回、紹介しているディスクも、てっきりそれだと思っていました。でも見てみると、1942 年録音。あれ? 本当にフルトヴェングラーとの録音もあったのかな? ってマニアックすぎでしょう (涙)。今、Amazon の注文をかけて取り寄せているところです。これが 1944 年録音とされているものと違えば、嬉しいのですが。

とにかく! 選曲がマニアックすぎます!!!

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