2011-08-21

沙中の回廊 (宮城谷 昌光) を読む

沙中の回廊〈上〉 (文春文庫) 沙中の回廊〈下〉 (文春文庫)

「沙中の回廊」は晋の重臣・士会を主人公にした歴史小説です。士会は重耳 (晋の文公) に見出され大夫 (臣下) となりました。重耳は 19 年に及ぶ放浪を経て晋の君主に即位し、春秋時代の五覇の一人に数えられるほどの名君となりました。当然、19 年の放浪をともにした臣下の多くは優秀で忠義も厚かったので、重臣として取り上げられました。士会はめずらしく、重耳が君主になってから取り上げられました。

本書では、士会に大きな影響を与える人間が二人登場します。

一人は郤缺。父親が恵公 (重耳の弟で政敵) についたため、重耳が君主となった後は野に下りた人物です。この人も重耳が君主になったのち、重耳に仕えることになりました。郤缺は何かと士会と馬が合い、また士会の能力の高さを認めている人でもありました。途中、士会は政治的な事情で隣国・秦に亡命します。士会は優能なので秦の康公 (春秋五覇の一人に数えられる穆公の子です) の元でも活躍をするのですが、郤缺はそんな士会を策略を用いて晋に呼び戻します。以来、二人は晋国を支える柱となってゆきます。

もう一人は介子推です。介子推は重耳の放浪につき従った直臣の一人ですが、重耳が君主になった後、その功積を認められることがなかったため、静かに重耳から離れてしまった人物です。その活躍は「重耳」や「介子推」に詳しいのですが、本書では冒頭に於いて士会の前に現れサッと姿を消します。本書では、士会の行動における理想としてこの時に出会った介子推が強く影響を与えたという設定になっています。「重耳」や「介子推」といった本は重耳のために活躍した介子推を描いた作品でしたが、本書は介子推が重耳から去ることによって神格化される「その後」を描いた作品と言えるかもしれません。

士会は最終的に正卿 (宰相) の座にまで登りつめますが、たった二年で引退します。この引き際の見事さも、介子推の影響があったのかもしれません。たった二年の宰相ですが、春秋左氏伝は「晋の歴史上、士会こそが最高の宰相である」と記し、作者の宮城谷さんも軍師としての士会を非常に高く評価しています。

ちなみに、士会の前に現れた名軍師というと太公望くらいしかいません。太公望は士会より 500 年近く前に活躍しています。また、兵法書「孫子」で名高い孫武は紀元前 535 年頃に生まれています。士会の生没年は不明ですが、宰相になったのが紀元前 593 年とありますから、孫武より前に活躍したことは間違いありません。

本書では、そんな名軍師振りを発揮する士会の姿を読むのも楽しみの一つです。

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