隣の家の少女 (扶桑社ミステリー)
ジャック ケッチャム Jack Ketchum
扶桑社 1998-07
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ジャック・ケッチャムによる恐怖小説です。恐怖小説、言い換えれば、ホラー小説。といっても、スティーブン・キングやディーン・R・クーンツの多くの作品の様にスピリチュアルな存在が主人公たちを襲うわけではありません。恐怖の対象は、私達と同じ「人間」です。
時代は 1958 年。主人公は「隣の家の少女」と親交を深めています。しかし、運命の歯車は狂い始めます。最初はちょっとしたいたずら。少年も加害者に加わります。しかし、いたずらはエスカレート。それは虐待へと変化して行きます。それも大人による虐待です。ここで、子供である主人公は「傍観者」へと成り下がります。そこが恐しい。そこが怖い。
一般のホラー小説は、恐怖体験に対して主人公が向き合い対決する形を取ります。人知を越えた存在に対して、どうやって相手を倒すか? どうやって逃げ出すか? 主人公の前向きな視点と同化することによって、読者は恐怖体験と向き合いつつも、恐怖体験と戦うカルタシスを得ます。
一方、「隣の家の少女」の視点は違います。致命的なことに、主人公は少女を救ける勇気もなければ努力もしない。目を背むけられない。逃げ出すことも出来ない。ただ傍観者であり続けるだけ。目の前の惨劇を... 大人がすることとは思えない行為を... ただ見ているだけ。誰かに知らせようとすれば、自分が殺される。そう、この作品で主人公は恐怖体験と同化してしまうのです。そんな主人公に感情移行しながら読む 400 ページ。
ホラー小説を少々噛じってきましたが驚きました。こういう手法で恐怖を伝える手段があったのかと! そして、400 ページに渡って、逃げ出せない恐怖から目を背けられない描写を書き続けられる作家が居たのかと!
本の帯にはスティーブン・キングの言葉が載っています。
わたしたちのような作家にとって
ケッチャムは一種のヒーローだ
これは半分はお世辞であり、もう半分はキングを含む多くの「ホラー小説作家」が思いつかなかった視点を導入し、成功したケッチャムへの賛辞ではないかと思います。
「恐いのは人間」「いけないのは傍観者たること」当たり前の常套句を、丁寧に長編へと紡ぎ上げると一流の恐怖小説になる。「隣の家の少女」を読んで知りました。
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