2012-05-22

天地明察 (冲方 丁) を読む 〜 のめりこむ時代小説、合戦も剣術もない戦い

天地明察(上) (角川文庫) 天地明察(下) (角川文庫)

冲方 丁 (うぶかた とう) 。この人は一体、どこへ行くのか?」読み終えて、一息つき、零れた想いはこんなでした。

面白い作品は数多くあります。一頁目から面白いと思う作品も少なくありません。しかし、読み始めて、気がついたら 100 ページを越えていた... なんて時を忘れる様な傑作は少ないものです。「天地明察」はそんな一冊でした。

冲方丁は、SF 作品で名を馳せた才人。この「天地明察」より前に書かれた「マルドゥック・スクランブル」は第 24 回日本 SF 大賞を受賞したほどの名作でした。粗筋と感想は過去記事をどうぞ。

マルドゥック・シリーズの新作を待っていた読者に渡されたのは、SF とは無関係な時代小説。びっくりです。内容は、日本で初めて (こよみ) を作った渋川春海の半生を描いた時代小説。

「明際」とは、当時の算学において、良く出来た正解に与えられる言葉。江戸時代、日本人は平安時代から 800 年使い続けていた暦「宣明暦」を使っていたのですが、流石に実用に耐えなくなり始めていました。そこで、「天」と「地」を測定して日本独自の暦を作り「明察」をなしとげる、というお話です。正に「天地明察」。

渋川春海は頭が良いわけですが、脇を重める二人の友がこれまた凄い天才。痺れます。

本因坊道策

渋川春海は元々江戸幕府碁方の安井家長男。つまり碁打ちでした。安井家に生まれた算哲 (二世) は、家を養子の算知が継いだことから、保井姓を名乗ります。この時、渋川に挑んできたのが本因坊道策。後に碁聖として崇められる碁の天才です。ちなみに江戸時代、碁聖と呼ばれるのは本因坊道策、本因坊丈和の二人。時に道策を前聖、丈和を後聖と呼びます。この後聖をして、道策は次の様に言わしめています。

人に「道策先生と十番碁を打ったらどうなりますか」と問われ、「この百数十年の間に定石や布石の考え方が進歩したので、最初の十番は打ち分け (5 勝 5 敗) 程度には持ち込めるだろう。しかしその十番でこちらの手の内は全て読まれてしまうから、もしもう十番打ったら今度は一勝もできないに違いない」と答えたという。

本因坊道策 - Wikipedia より引用

マンガ「ヒカルの碁」で碁を知った人は、「あれ? 本因坊秀策は?」と思うかもしれませんね。もちろん、秀策も碁聖 (後聖) と呼ばれています。Wikipedia の解説を引用します。

江戸時代までは棋聖と呼ばれていたのは道策と本因坊丈和の2人であったが、明治以降から秀策の人気が高まり、丈和に代わって秀策が棋聖と呼ばれるようになった。

本因坊秀策 - Wikipedia より引用

ヒカルの碁 完全版 1 (愛蔵版コミックス)

関孝和

碁で天才・本因坊道策にコテンパンにやられたと思ったら、数学 (暦の作成にはどうしても数学が必要) の世界にも天才がいました。関孝和。代数計算の発明、行列式の提案、円周率の計算、ベルヌーイ数の発見等々。同世代 (1600 年代) のヨーロッパの数学者らにひけをとらない研究を行なっていました。

本因坊道策と関孝和という二人の巨人に挟まれながら、自分の道を突き進む渋川春海の姿がなんとも爽快です。

文庫版 発売

先日、文庫版がついに発売になりました。で、こちらのエントリー。

はい。「天地明察」では宣明暦よりも中国の授時暦が優れていることを証明するために、日蝕という天体現象を使って「勝負」を行なうのですね。この勝負一つ一つに読者はワクワクするわけです。まあ、主人公が推す授時暦が負けるはずがない... なんて余裕をかまして読んでるわけですけどね。

ところが!

最後の勝負で授時暦が負けるんです。何故、宣明暦より正確な授時暦が蝕の有無を間違えたのか?! それから 22 年。渋川の「日本独自の暦」作成の戦いが始まるわけです。本因坊道策に碁で負けた時、道策は気力を使い果たして気を抜きました。一方、渋川は背筋を伸ばし残心を解きませんでした。力で負けても、安井家 (渋川) に一日の長あり。そう言われた渋川の、「負け」からの再起戦。震えんばかりの興奮です。

SF を書いていた冲方は、何がきっかけで、こんなに面白い時代小説まで書ける様になったんでしょう。冲方は「マルドゥック・スクランブル」で世界に通用する SF を書きました。ところが、次は時代小説で人々を大きく惹きこんだのです。冲方は化けました。だから思ったわけです。「冲方さん、貴方はいったいどこへ行こうとしているのですか?」。

天地明察(上) (角川文庫) 天地明察(下) (角川文庫)

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