2005-10-09

ベートーヴェンのピアノ・ソナタ No.14 「月光」 (シュナーベル)

[2008-08-24 改訂]

Musical Baton レビューの四回目。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第 14 番「月光」について書きます。

私が「月光」で一番好きなのは、アルトゥール・シュナーベルの演奏 (録音: 1934-04-23) です。シュナーベル (Artur Schnabel) は、1882 年生まれ。ベートーヴェン弾きとして有名で、最初のベートーヴェン・ピアノソナタ全集を録音した人物です。イギリスでは今も彼の全集を「ピアノ・ソナタ全集の聖典」と言うそうです。

そして私が初めて買った CD ボックスこそ、シュナーベルのピアノ・ソナタ全集でした。

実を言うと、購入当初、私はシュナーベルの良さが分かりませんでした。今思えば、音の古さ (沢山ノイズが入ってます) を気にしすぎたり、「月光かくあるべし」という思い込みに耳がダマされていたのだと思います。当時はクラシック初心者で、まだクラシック音楽の楽しさを理解していなかったというのもあります。

聴き比べ

シュナーベルの良さに気づいたきっかけは、三枚の「月光」の聴き比べでした。

ある日、名盤と誉れの高いバックハウスの全集 (新盤) を手に入れました。一通り聴き終えて、今度はじっくり好きな曲 (つまり月光なわけですが) を聴きたくなりました。それで、ついでとばかり手元にあった CD を聴き比べを始めたのです。その時、私が持っていたのは、シュナーベル、バックハウス (新盤)、そしてギーゼキングの三枚でした。

さて、少し曲の解説を。「月光」という題名は、レルシュタープという詩人が第一楽章を「ルツェルン湖の月光の波間に揺れる小舟」と例えたことで定着した俗称です。そのため湖面に浮かぶ月光をイメージする人も多いかと思います。一方、ベートーヴェン自身は (第 13 番のピアノ・ソナタと合わせて) これを「幻想風ソナタ」と呼んでいました。ここで言う「幻想風 (Fantasie)」とは、幻想曲という意味ではなく、形式に縛られない程度の意味合いしかないそうです。

閑話休題。

バックハウスの第一楽章は、レルシュタープが思い浮かべた心象を見るような静かな演奏です。感情が抑えめで、心がリラックスします。何度も聴き直したくなる、全くの名演です。

二枚目のギーゼキングは、月の光というより「幻想的」。第一楽章から第三楽章に繋げる構築力が素晴らしい名演です。まず、第一楽章はバックハウスと比べて情緒が足りなく思います。しかし、それは第一章楽だけを聴いているからです。第二楽章から第三楽章にかけて聴くと、とても一体感のある仕上がりになっています。ギーゼキングの演奏は、ピアノ・ソナタ全体のバランスを考えると、調度良い案配になっています。

三枚目のシュナーベル。彼の演奏は先の二人と冒頭から雰囲気が違います。そこには「月の光」も「自由な幻想」もありません。ただただ緊張感があるだけです。少し速めのペースで、音楽がせきたてられます。襟を正して聴くような第一楽章。緊張感を維持してテンポの上がる第二楽章。そして、激しく、心臓をわしづかみにするような第三楽章。テクニックの乱れも散見しますが、聴き込んでしまいます。いえば、これは混じりっ気のないベートーヴェン作曲ピアノ・ソナタ第 14 番作品 27-2 でした。

もしベートーヴェン本人が「月光」ソナタを弾いたら、 後世の人が付けた「月光」のイメージも、 自分で付けた「幻想風ソナタ」のイメージもなくて、 きっとその演奏は 14 番目のソナタを弾くものでしかなかったでしょう。

シュナーベルの演奏は正にそう。ベートーヴェンが生まれかわって弾いたかのような錯覚に陥るのです。ベートーヴェンのことは伝記と絵だけでしか知りません。でも、あのしかめっ面がピアノの弾いたら、こんな風になるんじゃないかしらん、と思わせる演奏です。心を休めるのに聴く演奏ではありませんが、本当のピアノ・ソナタ第 14 番を聴きたくなった時、私はこの一枚を取り出します。

蛇足

シュナーベル盤は、技術的にも録音的にも拙いものです。最近の CD に聴き慣れた耳には厳しいかもしれません。もし、もっといい音で聴きたければ、フランスのピアニスト、イヴ・ナット (Yves Nat) の全集がお勧めです。

Beethoven: Piano Sonatas Integral 1930-1956

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