「ご冗談でしょう、ファインマンさん」はノーベル物理学賞受賞者リチャード・P・ファインマンの自伝です。ファインマンの業跡を一つ二つ挙げるなら、経路積分やファインマン・ダイアグラムなどが思い浮かぶでしょう。物理学の教授は変わり者が多いもので、面白いエピソードに事欠きません (私が師事した太田隆夫教授も、それは面白い人でした)。そんな中で、ファインマンの自伝がお勧めな理由を三つ挙げましょう。
一つ目。変わり者の中でも変わり者。ファインマンの自伝を読むと分かりますが、彼はちょっとしたひねくれ者。独特にユーモアのセンスを発揮して、周りのものを驚かせたり笑わせたり煙にまいてしまうのが大得意。正直者なのですが、いたずら好きなのが幸い (?) して周りから信頼されないこともしばしば。
私が好きなエピソードは、上巻の「ドア泥棒は誰だ?」。MIT のフラタニティ (男子学生の団体で同好者が居を共にする) に居た時の話。ファインマンはある友人達のドアを外して隠してしまいます。何故隠したのかは本書を読んで頂くとして、ファインマンの瓢々とした態度を引用してみましょう。
僕が階段を下りてくると、彼らはさっそく、「おいファインマン。僕らの部屋のドアを外したのは君か?」とどなった。
「おう、やったやった」と僕は答えた。
「ドアを取ったのは僕さ。ほれ、僕のこぶしのところに擦り傷があるだろ? 地下室に持っていくときに壁にぶつけてこすったんだ。」
ところが彼らはこんな答では気がすまないらしかった。気がすまないどころか、僕の言ったことなど頭から信じやしないのだ。
ドアが消えてから一週間後、これではいけないということで話し合いが持たれます。
次の学生は「僕に良い考えがある」と言いはじめた。「会長が僕たち一人一人に、フラタニティの名誉にかけて、ドアをとったかどうか答えさせたらどうだろう。」
会長は喜んで「それはまったく良い考えだ。フラタニティの名誉にかけてだぞ!」と叫ぶと、テーブルの端から一人一人にききはじめた。「ジャック、君はドアを盗んだか?」
「いいえ、僕は盗みません。」
「ティム、君はドアを盗んだか?」
「いいえ、僕はドアを盗んでいません!」
「モーリス、君はドアを盗んだか?」
「いいえ、僕はドアを盗りはしません。」
「ファインマン、君はドアを盗んだか?」
「ええ、僕がやりました。」
「ふざけるなよ、ファインマン。真剣なんだぞ、みんな。」
「サム、君はドアを盗んだか?」……という調子でテーブルを一回りした。そして一同しゅんとなってしまった。
二度も自白したというのに、信じてもらえない茶目っ気さ。ファインマンの魅力です。
二つ目の理由。ファインマンの生きた時代が、物理学の大きな転換点であったこと。ファインマンは 1918 年生まれ、1988 年死去。28 歳 (1946 年) に教授になっています。若くから才能のあったアメリカ人物理学者。ファインマンはアメリカの物理学、特に量子力学の発展を伴に歩み続けた存在でした。
少し話は逸れますが、優秀な物理学者としてマンハッタン計画への参加を持ちかけられます。アメリカの原子爆弾開発計画ですね。計画はロスアラモス国立研究所で行なわれました。ファインマンがどういう経緯で原爆開発に関わるようになったかは、ちゃんと本を読んでもらうとして、そんなファインマンの目から見たマンハッタン計画を描いたのが上巻の「下から見たロスアラモス」です。
お気に入りは、工場の青写真をエンジニアから説明を受けるエピソード。長めですが、引用します。
山のような青写真を次々と広げては、どんどん説明しはじめた。(中略) バルブの一つが詰まっても何事も起こらぬよう、この工場では全部にバルブが少くとも二つずつつけてあるとのことだった。
エンジニアたちはそのバルブがどのように配置され、どう働くかを説明しはじめた。四塩化炭素がここから導入され (中略) 積み上げた青写真を広げては、下から上へ、上から下へ、およそ複雑怪奇な化学工場の説明を早口でまくしたてた。
ぼくはもう頭がぼうっとなってきた。それより何より困ったのは、この青写真に書きこまれたいろいろな記号が、何を表わすものかすらさっぱりわからないことだった。(中略)
その場ですぐ聞きそびれたために、あとで聞きにくくなるという経験は誰しもあるものだ。すぐそのときにたずねれば何でもなかったのに、説明はえんえんと続くし、こっちもちょっと躊躇しすぎたから、今きけば「なあんだ。何で今までむだに説明させたんです」てなことになる。
さていったいどうしたもんだろう? と、僕はいいことを思いついた。ひょっとするとこいつはバルブからしれない。そこで青写真三ページの真ん中にある正体不明の ばつ 印に指をおいて、「もしこのバルブが詰まったら、どうなりますかね?」と聞いた。すると相手が「あっ、それはバルブじゃありません。窓です」と言うだろうと思ってのことだ。
ところが技師たちは顔を見合せ、一人が「ええと、そのバルブが詰まりますと、つまり……ええと……」と言って青写真の上を上がったり下がったりして調べ始めた。もう一人の方もさんざん上がったり下がったり、行ったり来たりしたあげく、またもや二人で顔を見合せた。それからふか返って僕の方を向いたときは、二人ともまるでびっくりした魚みたいに口をパクパクさせていた。「まったくおっしゃる通りです。」
二人はいそいで青写真を丸めると、すごすごと出ていった。
マンハッタン計画。物理学者にとって暗雲とした時代ですが、そんな世の中をユーモア交えて「下から」見るファインマンの姿は痛快です。
三つ目の理由。それは物理学者としてのマインド。下巻の「誤差は 7 パーセント」のエピソードです。ファインマンが計算したところ、実験値と 9 パーセントの誤差で「合う」結果が出ました。実験誤差を入れて考えると、なかなかの精度です。ところが、その結果を仲間に知らせると
たまたまクリスティもそこに居合わせて、「ベータ崩壊のどの定数を使ったのかね?」とたずねた。
「○○の本にでてるやつさ。」
「しかしあれは間違いだということがわかってるんだぜ。最近の測定では七パーセントぐらいのずれがあるそうだ。」
果たして、このズレはどっちの方向のズレなのか? ベータ崩壊の定数を修正して計算し直したところ、二パーセントだということに意見が一致した。(中略) 僕の理論は正しかったのだ
。
さて、この話には続きがあります。そもそも、元になった「七パーセントのズレ」はどこから出てきたのか?
僕はさっそく古い実験で、はじめて中性子-陽子結合が T だと発表した記事を見つけだし、かなりのショックを受けた。というのも僕は以前この記事を読んだことがあり (中略) そのとき図の曲線を眺めながら、「何だ、これは何も証明してやしないじゃないか!」と思ったのを、今再びこの記事を読んで、鮮やかに思いだしたからだ。
(中略) 僕がほんとうに賢い物理学者だったら、とうの昔ロチェスター会議で初めて疑問を感じたとき、すぐさま「いったい T だという考えには、どれだけの根拠があるか?」ということを調べあげたはずだ。それこそ当然なすべきことだったのだ。
(中略) それ以来というもの、僕はもういわゆる「専門家」の言うことにはぜんぜん耳を貸さず、何でも皆自分で計算することにしている。
なかなか耳の痛いお話です。学部レベルの講議では、この様な間違いはないでしょう。しかし、卒業研究・大学院での研究・ポスドクでの研究と自分の研究が進めば進むほどにこういった「物理学者の姿勢」は重要になってくるものです。
天下のファインマンも失敗したことですから、誰にでも陥ってしまうワナでしょう。だからこそ、時々、本書を開いて自分を諫める一助としたいのです。